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歌手・樋口了一さん登場 – OnagawaNow!(2017年3月27日放送分)

2017年03月27日

女川さいがいFMから、放送を東北放送、そして各地のコミュニティFMへ移してリニューアル・継続している「おながわなう。」改め「OnagawaNow!」

今回は、ことし3月19日に行われた「女川町復幸祭」に初年度の2012年から参加し、
トリとなる「水曜どうでしょう」トークライブの最後で「1/6の夢旅人2002」を熱唱してくれたシンガーソングライター・樋口了一さんのお話をお届けします。

樋口了一さんは90年代に歌手としてデビューしたのち、人気バラエティ「水曜どうでしょう」のテーマソング「1/6夢旅人(ろくぶんのいち・ゆめたびびと)」を作詞作曲。
ほかにも、「アニバーサリーソング」「手紙」などのヒット曲や、SMAP・V6など多くのアーティストの楽曲も手掛けてきました。

その樋口さんと「女川」が繋がるきっかけとなったのが、まさにこの「1/6夢旅人2002」でした。

■女川と樋口了一さん、「水曜どうでしょう」のとのつながり

3月11日、津波でなにもかもが流され、真っ暗闇となった中で着の身着のまま避難した人の中には、たまたまiPodやウォークマンを持っていて、音楽を聴くことで自分や周りを励まし、勇気づけられた人もいました。

女川さいがいFMが開局後、たまたまそんな話題をラジオでしていたとき、メンバーやリスナーの中に、「水曜どうでしょう」好きが何人かおり、この「1/6の夢旅人2002」の歌詞にある

「新しいこの朝が いつものようにはじまる」
「たどり着いたら そこがスタート」

という部分に励まされたという話になりました。

翌年、第一回の復幸祭をはじめるとき、誰にゲストにきてほしいかを考えていたときにこの話が思い出され、「水曜どうでしょう」のスタッフにダメ元で交渉したところ、なんと女川での出張トークライブが実現。
さらにその話は樋口さんにも伝わり、樋口さんも、女川まで歌いに来ていただけるようになりました。

それから毎年、藤村忠寿さん・嬉野雅道さんら「どうでしょう」班のトークライブと樋口了一さんのライブが、復幸祭の目玉にして大トリの名物となりました。

このあたり経緯は「水曜どうでしょう」公式WEBサイトにも詳しく書かれています。よろしかったらご覧ください。
http://unite2013.jp/special/takumi/onagawa.html

■「女川の景色」に樋口さんが発見したもの

時を同じくして、樋口さんはパーキンソン病という難病に罹患します。
声や体が思うように動かなくなる病気と闘いながら、それでも歌い続ける道を選び、5年前に、東京よりも空気の良い、生まれ故郷の熊本へと拠点を移しました。

津波で何もかも流された町、女川の光景。
「それでも自分の作った歌が人々を励ましていた」という事実は、樋口さんにとっても大きな発見だったそうです。

それ以来、樋口さんはライブでこの歌を歌うたび、歌詞に必ずと言っていいほど、「女川」や「東北」へのメッセージを込めるようになりました。
「まさにこの歌がバージョンアップした瞬間だった」と、樋口さんは語ります。

札幌で3万人を集めた「水曜どうでしょう」祭の会場でも、樋口さんは女川や東北を思って熱唱してくださいました。

そして昨年4月、樋口さんは自らもいま住んでいる熊本で熊本地震に遭い、自らも「被災者」となります。

音楽を作る仕事部屋は、地震の衝撃でめちゃくちゃに。
しかし、そのとき女川の人たちに聞いたあの夜の体験を思い起こし、
逆に自分を保っていたのだそうです。

たったひとつの歌が、女川と熊本、そしてたくさんの人を繋いでくれている──。

これまでを振り返りながら阿部真知子がお話を聞きました。

☆樋口了一さんが「水曜どうでしょう」メンバーをはじめとした仲間達と作った
熊本の復興ソング「小さき花の歌」(樋口了一と花咲かフレンズ)
レコチョク及びiTUNES MUSIC STORE で配信・ダウンロード販売中!!
http://www.teichiku.co.jp/artist/hanasaka-friends/

ここでは、TBCラジオで放送した内容を元にポッドキャスト用に再編集・構成してお届けします。
トークについては、時間の都合でカットした部分も含めたロングバージョンとなっています。
ラジオで聞いた方も改めてお楽しみいただけます。

なお、著作権の関係で、音楽やテーマ音楽につきましては、一部の曲、BGMなどをカットしたり、差し替えております。あらかじめご了承ください。

※ラジオ放送版の内容をお聞きになりたい場合は、TBCラジオあるいはコミュニティFM、またはradiko.jpでお聞きください。