番組アーカイブ

「伝えることに希望を感じる」女川町で勤務の息子が犠牲に 田村さん夫妻インタビュー

2017年03月12日

大崎市にお住まいの田村考行さん・弘美さんご夫妻にご登場いただきました。

2011年3月11日、東日本大震災による津波で約900人もの命が失われた女川町。
その中には元々、町に住んでいた人だけでなく、仕事で働きにきていた人、旅行にきていた人なども含まれていました。

田村さんの息子さん 健太さん(当時25歳)もそんな一人。
小学校から高校まで野球少年、ガッツのある若者として周りからも大人気だったそうです。

社会人3年目だった健太さんは、宮城県内の銀行に就職して3年目、仙台から港町・女川の支店に赴任したばかりでした。

あの日、女川町中心部を襲った津波は高さ16mを超えました。

テレビや防災無線が流していた予想された高さは6m、それを信じて逃げないか、あるいはもっと高台へ逃げるのか?
その判断が命を分けました。

健太さんの勤めていた銀行ではそのままビルに留まることにしていたのです。
すぐ近くに逃げられる高台があったにもかかわらず……。

それから6年、田村さんご夫妻は、かつてその銀行の支店の建物があった場所に近い女川町地域医療センターの高台に立ち、女川町を訪れる人々に対して、「あの日、何があったのか」「命を守るためにはどうすればよいのか」を語る「語り部」をしています。

「語り部」というボランティアをやろうと思ってはじめたわけではありません。
息子さんの命を、生きた意味を、無駄にしないため、「語らずにはいられなかった」からだといいます。

特に最近は大学生ら、若者と話す機会が増えたという田村さんご夫妻。息子さんと世代の近い若者たちと話し、少しでもその想いが伝わったと感じたことで、悲しみばかりではなく、希望が持てるようになってきたそうです。

同じくあの日、大川小学校に通っていた娘を亡くした佐藤敏郎が、田村さんご夫妻と語り合った模様をお聞き下さい。